■政治家を志した理由
「ノゾム アリガトウ」の言葉に考えが逆転し、
そして、「希望」を仕事にしたいと思った。
大学1年生だった19歳の冬、私は東南アジアの途上国、ラオスにいました。小学校建設のプロジェクトに参加していたからです。経済的に貧しく、学校が不足しているラオス。そんな「かわいそう」な人たちに何か貢献したい、そんな気持ちからでした。
ラオスは確かに貧しい国でした。経済的には最貧国であり、平均寿命は短く、地雷や不発弾など戦争の傷跡に怯え、小学校は圧倒的に不足するなど、日本より、物質的には貧しい国でした。
しかし、どういうわけだか、子どもも大人も笑顔にあふれ、彼らは、幸せそうでした。そんな日々を過ごすうちに、この国には、日本にはない「何か」があると確信するようになりました。
ついに、ラオスを離れる日が訪れました。1人の少女が、手に一輪の花を持ち、日本語で、私にこう言いました。「ノゾム アリガトウ」彼女の笑顔に、そして過ごした日々に涙が溢れました。
そして、私は日本に帰国しました。帰国したのはちょうど正月のことでした。Tシャツに半ズボンを着て、サンダルを履き、大きなリュックサックを背負い、季節外れに日焼けした私は、雪の長岡に戻りました。
長岡駅から家までも間、私は歩いて帰りました。正月という一年で一番めでたい日にも関わらず、その間、街を歩く長岡の人々に笑顔はありませんでした。
「晴れやかなお正月なのに街を歩く人たちが楽しそうじゃない。貧しいラオスの子供たちの方がずっとハッピーに笑っていた」なぜなんだ!
あの国にあって、日本には無いもの。それは、『希望』でした。昨日よりも今日、今日より明日がよりよい日だと思うことが出来、未来の為にそれぞれが貢献したいと思えるそんな希望に満ち溢れた街を創ろう。そして、私が生まれ育った長岡から日本を変えていこう。私は、涙を流しながらそう決意しました。
あれから15年が経ちました。私は今でも、あの時流した涙を忘れていません。
桑原望




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